第十章・現代の東筑文化−生徒会システムの弱体化とその功罪−

 ここ十年の東筑文化を一言で表すと、「少数・分散化した文化」だといえよう。東筑全体で行う文化行事は、まず予餞会が平成元年を最後になくなり、文化祭もその開催期間を狭められ、ついに一日間だけとなった。
 ここ数年活躍している文化部は、コンクールなどでしかその力量を示さず、悪くいえば、文化祭はコンクールのための踏み台にしかされていない、ともいえる状況だ。部活動同士が協力して行動するような機会も少なくなり、はたしてこれら全体を「東筑文化」だと一括りにしていいものかどうか、分からなくなった。
 この原因の根本は、やはり生徒会執行局の低迷化にあると思われる。この課題は、これから先の生徒会に期待するよりほかはない。さて、この章ではそんな低迷に立ち向かった生徒会執行局の挑戦と挫折の歴史から始まる。

1.平成元年
 年号は昭和から平成へと変わり、平成の執行局最初の仕事は1月24日の予餞会だった。この年の予餞会は例年に比べ内容も充実し、3年生も全体の60%出席と例年より多かった。
 開会式の後、演劇部、バンド、記念品贈呈と決まり切ったようなプログラムだが、放送委員長によるスライド上映はユニークなコメントで会場を沸かせた。天本前会長の飛び入り参加なども会場の盛り上がりに貢献したようだ。しかし残念ながら、これを最後に東筑での予餞会は姿を消すことになる。

 生徒総会では採決の方法が挙手方式から投票用紙の使用へと切り替わった。これによって投票の秘密性が守られるようになったが、やたらに時間がかかる上、即決がなくなったのも事実である。また、体操帽子がハチマキになり、硬式テニス同好会が部になったのもこの年である。

 9月2・3日に行われた文化祭では、『遊人‘89〜時を駆ける覇者』をテーマに、17の部活動、5つのクラス、5つの委員会やクラブ活動、そしてクラス参加の減少により4つの有志団体が参加した。それらの中でも2年7組のビーチボールバレーは人気で、なかなか熱中できるものだったようだ。保健委員会の大声コンテスト、有志イエローキャンパスのオリエンテーリングなど、昭和60年代の文化祭改革の影響を色濃く残した内容で、完成度も概して高かった。自主製作映画が2本あり、演劇中にクイズがあったことからも、観る側を楽しませる企画が多かったことがうかがえる。

 この年の他の文化行事として、6月15日の遠足でのよかトピア(アジア太平洋博覧会)の見学や、11月に行われた社会部の4日間にわたる献血活動、芦屋中学校にて開かれた生徒側主催による、校内ソフトボール大会などがある。ちなみに、この年花園で行われた第68回全国高校ラグビー大会で、東筑は1回戦三重の木本高校に23ー6で快勝したが、2回戦、京都の東山高校に6ー25で敗れている。


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