2.平成3年
 平成3年の生徒総会では、部活動の廃止は部員がいなくなった時点で自動的に行われることが可決した。また、とびうめ国体まで期限付きの部活であった漕艇同好会が、正式に部活動となった。予算についての関心は高かったが、全体的には騒がしくしまりがない、だらけた生徒総会であったといえる。

 櫻井生徒会長は毎月の会報発刊を公約に掲げた。現存資料を見る限り、公約は守られていなかったようだが、当時の生徒会のやる気をかいま見ることが出来る。坂本風紀委員長は「校外清掃」を実施し、後の清掃奉仕活動への道標を作り、今の生徒会活動の基礎を固めている。

 この年は高口文化委員長が、自らが1年の時から携わっている文化祭を改革しようと懸命に努力を試みた。結果、7月13・4日に「新進気鋭 Revolution」と題して行われた文化祭では、東筑文化史上もっとも奇怪な文化祭パンフレットをはじめとして、おそらく強制参加となった1年のクラス企画、そしてこの年登場した、美術部路上観察班などが異色の光彩を放った。生徒会企画の折り鶴を使った絵も前年度の路線を受け継ぎ、ここ5年間の文化祭改革を決算したといえるだろう。

 また、高口委員長は文化祭の活動記録やここ4年間の実行委員会の活動記録も編纂している。すべてが現存しているわけではないが、今の活動にも役立つ貴重な記録であり、私が文化史を編むようになった間接的な原因となった。なお、この年初めて行われた東筑・小倉の定期戦は8−12で小倉が勝っている。


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