百貨店業界は世に言う「構造不況産業」のひとつである。これは時代のニーズに景気の動向に即座に対応するような設備の変更をすぐに行うことができない産業(北九州地域では製鉄業や石油化学産業などがこれに当てはまる)を指すときに用いられ、売り場面積を景気に合わせることが難しいこの業界はまさにそれに当てはまる。現在の百貨店業界は一店舗的には景気の動向にバーゲンセールの実施によってでしか対応することができず、売り上げの約1%しか利益とすることができないと言う。このような状態下で商圏的にそれほど大きなものではない黒崎に於けるそごうの撤退方針はそれほどとがめ立てできないものであると言えよう。
今回の背景にはそごうの再建計画が長期的になると言う見通しに対し、黒崎の将来性があまりに弱く見えたことが大きいと見られる。確かに設備自体は1979年の開業以来一回の改装もしておらず、老朽化は進みつつある。黒崎の商圏は小倉や博多・福岡天神のそれに比べ弱いものであり、将来的にもこの商圏が拡大するとは現段階では考えられない。経常黒字を上げ続けているものの、総売上高はピーク時の54%しか売り上げていないと言う。このようにマイナス面は多いものの、地域の商圏に対してはかなり適正な規模であるといえ、駅前という公共的イメージが大きな店舗であるので、黒字を上げている以上今回の閉鎖は早急すぎる結果ではないか、と考えてしまわざるを得ないのだ。
2.「黒崎そごう閉店」が地域都市圏計画に与える影響
さて、黒崎そごうの閉鎖問題を私がなぜにここまで強調したいのかというと、黒崎という北九州市の副都心が持つ地理的な重要性にある。図にあるとおり、黒崎は北九州市の西部に属し、市の西の玄関口とも言える折尾地区とは都市的に連携した関係にあるといえる。現在主幹工業(三菱化学・新日鐵関連企業)の低迷に伴い勢いといったものは感じられないが、60万人圏と言われる都市規模は侮ることができない。小倉都市圏との融合が現行ではなしえない(これについては別機会において詳しく述べることにする)以上、北九州市西部の都市空間を維持し続けるためには黒崎を見捨てることはできないのである。黒崎そごうに関して言えば、中間駅においては乗降客数の変動に大きな影響を与え(定休日の乗降客が激減する)るまでの力を持っている、現在黒崎駅西地区では再開発ビルの建設が進んでいるが、未だに核テナントが決定しないままでいる。黒崎そごうの問題はこの状況下に追い打ちをかけるものであり、駅前から表通りにかけてのこの「核なき商業圏」状態は、最悪黒崎都市圏の崩壊を招きかねない。
また黒崎都市圏の低迷は北九州市のみならず、福岡県全体の方向性にも支障が生じる問題となっている。福岡県の掲げる将来の都市間構想には「福北豊トライアングル都市圏構想」と言う名の計画がある。これは福岡−北九州−筑豊の都市圏同士の連携を強め、全国第4の大都市圏を作り上げようといったものである。そしてこの構想の実現化のためには、小倉−博多間の中継点である黒崎の存在は欠かすことができないのだ。JR鹿児島本線沿線で言えば、博多−香椎−宗像−黒崎−小倉と列状に連なっている都市同士の融合があって初めて「県北部大都市圏」と県の長期計画に述べているような都市圏が完成し得ると考えられる。
北九州都市圏と福岡都市圏とは鹿児島本線と山陽新幹線という大きな軌道動脈で繋がっているが、折尾から香椎まで行くのなら、快速電車でも30分もかからずに着いてしまう。十分な交流圏内にあるといえよう。大都市圏計画は中間地域の発展が伴わなければならない。北九州側からの開発の足がかりとして遠賀郡を商圏背景に持つ黒崎都市圏の活気は必要不可欠である。このような理由からも今回の状態は防がなければならない事態であったといえよう。市や財界からの積極的な支援策を心より期待したい。
参考資料・文献
1999 『福岡鉄道風土記』 弓削信夫 葦書房
「岩田屋読本」『福岡2001』1999年11月号
『読売新聞』2000年10月13日号
『朝日新聞』2000年10月19日号
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