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7/20 黒崎商店街が抱える問題とは


 商店街に魅力を持たせるにはどうすればいいのか、これは北九州のみならず全国が抱える深刻な問題である。
 今回はコーナー休業明け第1弾として、黒崎商店街の活性化という命題について考えてみたいと思う。
 黒崎商店街は、八幡中央町−上本町−黒崎と続く黒崎−八幡商圏の中心部西遷の結果出来上がった、工業城下町の系譜を継いでいる商店街である。商業中心地の西遷がなぜ起こったのか、これは言うまでもなくこれら商業地の北にある北九州工業地帯の勢いや設備機構の変化に起因する。
 現在の黒崎商店街の衰退の原因は数多くある。考えるだけの要因を箇条書きしてみよう。
 ・北九州市の同地区に対する位置付けの格下げ……北九州市前市長・谷伍平氏によると、昭和45年に作られた北九州市の「中期計画」の中で、公共投資をより重点的に行うため、それまで旧五市にばらまいていた公共投資を小倉・黒崎に集中させる、「二眼レフ構造」という方向に転換していった政策が、新市庁舎の建設や山陽新幹線小倉駅の開業に伴って黒崎の相対的地位が低下し、昭和60年に作られた「さわやか北九州プラン」では、小倉−都心・黒崎−副都心という格付けがなされるようになったという(「ひろば北九州」2001年5月号より引用)。
 ・黒崎商店街の独自発展の失敗……バブル時代のさなか、黒崎地区にもビルの再開発計画が持ち上がった。国道200号線筒井通りの沿線に建っているオフィスビルはその一例である。それらの中で地元資本が出資して出来たファッション専門店街ビルが「Debut」だ。このビルは黒崎トポス(2001年1月閉店)の隣、商店街アーケードの終点に位置し、黒崎そごうから続く商店街の人の流れを請け負う使命を帯びていた。しかし元々の経営基盤が十分なものでなく、延べ床面積も小規模であったため、短期間で閉店してしまった。バブル崩壊時に黒崎そごうはそれまでの賃貸契約から延べ床買い取りと言う非常手段をとることとなったが、商店街の団結力の希薄感がこの措置をとらせたともいえるだろう。
 ・工業地帯の低迷……安川電機・三菱化学・黒崎播磨・三菱マテリアル・三井ハイテック、、、これらが黒崎商圏の原動力となっている。新日鐵の製造拠点移動以降、これら主要工業も生産拠点を一部地域外に移動している。石炭産業の低迷がこの地域の停滞感をもたらす一因であることは言うまでもない。ただし、安川電機をはじめとして不況の中でも活力を持つ企業は多い。これら企業が黒崎地区に研究機関をはじめとする新規工場を置いていないことが問題だといえるだろう。
 ・郊外ショッピングモールの増加……例を挙げて述べてみよう。まずは「ゆめタウン遠賀」、「メガバンドール中間」、「メルクス本城」、そして上津役から直方に至るまでに点在するショッピングセンターの数々。これらは黒崎へと向かう人の流れを分散させているといえる。もちろん、黒崎という商圏がなければ成り立たないものであるが、それ自体の魅力が黒崎という核をしのぐ結果となっている現状(黒崎商店街の求心力低下の要因がその背景にある)は、もはや隠しようもない状態となっている。
 黒崎副都心はどのような方針をとればよいだろうか。まず言えることとして、
「副都心づくりも各地で行き詰まっている。「副」がつくのはほかに一番があるからで、最初からハンディを背負っているようなもの。短期間に街をこしらえるきしみもあるし、再開発をすればテナントがすぐに入る時代でもなくなった。」(12月9日、西日本新聞主催「黒崎再生を考える」シンポジウムにて、都市経済研究所主任研究員福井康子氏のコメント)
 つまり、小倉の次に黒崎地区を考えるという、北九州市という枠内での考え方を取り外すべきだと言うことである。まず福岡市との連携の中で黒崎地区を小倉との融合点として、「福北豊」の国内第4の大都市圏確立のための接着剤としての街作りに重視すべきではないだろうか。あくまで黒崎をひとつの都市圏と考え、小倉にも福岡にも出来ない都市間ハブターミナルとしての都市形成を目指すべきではないかと考える。
 先ずは、商店街の回遊性を強めるためにも、国道3号線から商店街を経由する、山手線周辺の大型集客施設の早期完成を要求したいと思う。これは北九州市が考えるように、九州厚生年金記念病院跡地の文化施設の建設でも出来ることでもあるし、「Debut」跡地やトポス跡地の商業施設誘致とでも出来ることだと思う。
 


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